母の言葉 | いとうのL.P.

母の言葉

母の言葉


 私は、独身時代に恋人と遠距離な関係にあった。当時私は、恋人との関係に揺るぎない自信を持っていた訳ではない。それでも、恋人以外の女性は眼に入らなかったし恋人が別の男と親密な交際をすることなど全く心配していなかった。たいへんのんきで純真な青年であった。


 私は二ヶ月に一回くらい、遠くの町まで泊まりがけで、恋人に逢いに行った。私の行動の異変に気づいた母が私に言った。


「女は不安なもの。もしおまえがそのつもりなら早く正式に婚約しなさい。」


 とりあえず笑ってごまかして、その場を逃れた。母には口では勝てない。はたして母の言うとおり、その恋人が私との恋愛の行く末に、不安を抱いていたかどうかは不明ではあるが、私は「女は不安なもの」という母の言葉を金言として受け止めた。それまで母からたびたび女とはこういうものだという話を聞かされていたわけではない。また、普段、母が「~しなさい。」と私に命じることに、たいていの場合素直に従う気にはなれなかった。しかし、そのときばかりは違っていた。恋人が今どういう気持ちでいるかということは私の最大の関心事であった。私は女性の気持ちや考え方がどういうものであるのかよく知らないことを自認していたので、同じ女性である母の言うことを聞こうと思った。それは私が全く気にとめていなかった部分を鋭く指摘する言葉であった。


 私は母の言うとおりにした。会社を休みにしてすぐに恋人にプロポーズしに行った。意外にも恋人はそれをある程度予測していた様子だった。自分の両親が反対ではないことを確かめた後、恋人宅を訪問して親にも結婚の同意を得ることができた。普段は母の言うことにほとんど耳を貸さずに、何事にもマイペースな私が、母の言うことを聞いて、迅速に行動した数少ないできごとであった。恋人とその親の行動も私と変わらないくらい迅速であった。早急すぎるという対応は一切なかった。私がそうするのが至極当然のような、期待通りの行動であったような印象を強く受けた。これらは母の言葉の正しさの証明であると思った。
当時、私はすでに勤めていたが、恋人はまだ学生生活を続けていたので、もし母の言葉がなかったら、遠慮深い性格の私は、あと何年かはプロポーズしなかったはずだ。遠慮が遠慮を生み、思い違いがまた別の思い違いを生んで、互いの心がすれ違うおそれは十分にあった。母の言葉のお陰で、私は無事に妻をめとることができた。母は74歳の若さで世を去った。来月には七回忌を迎える。


 職場の先輩が後輩に対して、サラリーマンとしてあるいは技術者として職場の内外でどのように振る舞うべきかというような、いわば人の生き方に関わることについて意見をする場面を見かけることがある。他人に対して生き方を説くことは、少し傲慢すぎるのではないかと私は思っている。同様にして、自分の子に対して、親が望ましいとする生き方を説く場合があると思うが、強く反発する子が多いのではないだろうか。特に母と息子、父と娘の関係において、その傾向は顕著である。
 

 もし、後輩や自分の子が自分の望むような人間に成長してくれることを期待するのなら、生き方を説くのではなく、その基になる物事の真実や道理、善悪を示したほうが受け入れられやすいと思う。物事の真実や道理は、それぞれの人の生き方とは無関係に普遍的なものである。また、人が人である限り根本的な善悪の基準はたやすくは変化しないと考えられるからだ。それらは後輩や我が子が自分の生き方を自分で決めるための貴重な判断材料になるはずだ。